適当にやり過ぎるといろいろ投げっぱなしになるし、拘り過ぎると遅々として前に進めなくなるので、
結局何処か一定のラインを引いて、ここまで拘る、あとは適当に、といったファジーさが必要になります。
その線引きは、いつもギリギリのところでの決断を迫られることになります。
本来は100%拘りたいところを、さまざまな事情によってその一部を捨て去るのですから。
万策尽きました。
これ以上は妥協できないというところまで妥協しても、全部の条件を両立できなくなりました。
唐突で申し訳ないんですが、来年の次回作を2度目の区切りとして考えていたのですが、
今回制作中の作品を以て2度目の終わりにしたいと思います。
もちろん、それは3度目の始まりに向けてのOvertureなのかも知れませんし、
逆に今回は前回のEpilogueだったのかも知れません。
ただはっきりしているのは、意欲の減退を誤魔化すことはこれ以上できないということです。
そもそも自分はヴォーカリストなので、歌モノをやらないというのはそれだけでストレスです。
にも関わらず頑なにヴォーカルモノのアレンジをやらないのは、自分の中の世界観をぶっ壊したくなかったし、
それを他人に押し付けたりして他人のイメージをぶっ壊したり、原作のイメージに上書き保存したくなかったからです。
ヴォーカルアレンジをやる時は、歌モノができるというストレス発散と同時に、
そういう部分への拘りをふいにするストレスを負うことになります。
(それでも、自分のアレンジの中で一番好きなのは「Good Bye My Vain Faith」や「Save This Land」なんですが)
インストゥルメンタルに歌詞をつけたい、自分なりに歌ってみたいという欲求はいつもあります。
でも、歌詞や歌はメロディや楽曲をさらに強力にできるだけの力を持ちますが、
同時にそれによって固定化されたイメージを強烈に植え付けることになってしまいます。
インストでは許される想像の可能性を、奥行きは増すことができても、幅を狭めてしまうのです。
僕はヴォーカリストであると同時に、作曲家であり編曲家です(自分で言うのも変な感じですが)ので、
それら全部を並立させられるだけの何かがあるとすれば、それはアレンジの世界には存在しないのです。
同人でアレンジを始めて既に5年、CDを出すようになって3年。
その間いろいろな曲に触れ、自分なりの服をデザインして着せてみて、ある程度の評価を得られたと思います。
ファッションショーたるイベントにおいても、完全に埋もれてしまって見向きもされないということがない程度には。
ただ、同じことをずっとやり続けるというのは、飽きてしまうことでして。
もう限界まで飽きてしまったから、一度ガス抜きしないと駄目だと思いました。
他人の子供に自分でデザインした服を着せるのも面白いんですが、それより自分の子供に着せてやりたくなりました。
ただ誤解されたくないのは、飽きたというのは嫌いになったということではないこと。
松坂牛や神戸牛のステーキを300gも食べたら、胃もたれして気持ち悪くなって、もう食べたくなくなります。
でも、元気になったらきっとまた食べたくなるでしょう。
それと同じです。今胃もたれして気持ち悪くて辛いんです。
美味しいからって食べ過ぎてしまって、満足を超えてtoo muchになってしまっているんです。
たまにはステーキじゃなくて、お刺身が食べたくなるんです。
またお刺身に飽きたらステーキを食べたくなる日が来ると思うんです。
その日まで、ちょっと手をつけるのをやめようという話で。
幸いにして、新しいサークルに参加したり、ちょこちょこゲストなんかでつまみ食いできる環境にはなっているわけで、
きっと元々好きだったあの味を忘れないと思いますし。
今の作品を作り終えたら、とりあえず3~4作品ほどオリジナルをやってみたいと思います。
歌モノもあればインストもあり、アレンジではしてこなかった手法もいくつかあるやも知れません。
アレンジで勉強した手法を用いて、もっと魅力的な自分なりの曲を作れそうな気がするんです。
そのオリジナルのキャリアが、アレンジにも良い影響を与えると思うんです。
だから、トラウマになったり嫌いになってしまわないうちに、一旦身を引くことにします。
今まで応援有難う御座いました。
また戻ってきた時には、暖かく迎えてやって頂けると有難いです。
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