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SHOのMusic Junkie隠れ家版

「 独り言 」

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2024.04.26 Friday 04:33

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ヴォーカルアレンジ

2010.03.10 Wednesday 23:46

自分はヴォーカリストだけど、自分でヴォーカルアレンジをやろうとは思わない。
どうしても、自分なりの世界観の中に自分の声や、自分の詞を乗せたくないのよね。
それが良いんじゃないかって人もいるんだろうけど、どうしても自分には無理。
気持ち悪いくらい(もちろん、自分の声や詞が乗るのが)。
依頼とあらばやるし、自分の世界観にあまり関係ないところではやってるけど。

そもそも、なんでヴォーカリストなのに歌わずにインストに拘っているのかといえば、
自分の描きたい世界観に自分の声は必要ないから。
蛇足なだけでなく、著しくその世界観を損なうから。それが嫌だから。
ヴォーカリストだけれど、それ以上に表現したいことは大事にしてるのよね。
例え、インストより何倍も良いヴォーカルアレンジができたとしても。
そして自分にはその自信がある。でもやらない。自分のやりたいことと違うから。

だから今後も(自分でやる)アレンジでは歌わない。
うちはあくまでインストサークル。歌いたくなったら中の人だけ外で歌ってれば良い。

まあ、そうは言いつつ、どうも激しく期待されてる動きもあるし、
多分いつか1枚だけ、周囲に推されるような形でヴォーカルオンリーのを出すんだろうなぁ。

でもきっと、うちのサークルでフルヴォーカルのアレンジアルバムを出すのは、
それが最初で最後だろうと思う。
そして、仮にそれがサークルで一番の人気作になったとしても、続きはなしだろうなと思う。
そんな時間があったら他の曲を歌うからね。
自分には歌いたいテーマがまだまだたくさんあるんだから、せめてそれを歌い終えるまでは封印でしょうな。
依頼されて歌うことはあるかもしれないけど、自分でやるんなら自分の歌を歌いたい。

まあ、それを歌い終える頃に、ヴォーカルアレンジをするような環境だとは思えないけど。
10年はかかりそうだから。
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独り言

2009.11.09 Monday 10:16

なんか書いたような気がするが、論ずるに値しないほどバカバカしかったので消した。

輝きを失った夜空を見上げて

2009.10.19 Monday 09:33

自分の心を宇宙に例えて、地球からそれを見上げたように考えると、
まず真っ先に思うのが、この1~2年の間に数多くの1等星が消えてしまったということです。
あこがれの人、目指すべき目標、あるいは楽しみ。
そういったものが、ことごとく失われていってしまったことを感じます。
世の中(少なくとも自分が見ている狭い世界)は、この1~2年の間に時代の終わりを迎え、
新しい時代に突入しようとしているように思います。

新しい時代を歓迎しないかと言えばそうでもないのですが、
わりとそういう面で保守的で、輝きが多くて見上げていて楽しかった夜空を失った事は、
正直、結構心に重くのしかかっています。
心が欲するだけの酸素がなくて、息苦しい。

宇宙空間は、真空のエネルギーというもので無限に広がり続けるそうです。
しかし、宇宙空間に存在する物質の数は限りがあります。
次第に星間物質やガスはその密度を薄め、新しい星を誕生させることができなくなります。
最終的には、星々が死に絶え、やがてブラックホールも崩壊し、
宇宙は永遠に続く暗黒で虚無の空間になるそうです。
僕の見ているとある世界の一つで、これを連想させる現象が既に起こり始めています。
限りある資源が枯渇し、新しいものを生み出すことができなくなった時、
その世界はどういう結末を迎えるのでしょうか。

またひとつ、またひとつと、僕の夜空の星が消えて行きます。
これが僕にとっての宇宙の終焉であるなら、あまりに早すぎる終わりだなぁと思います。
新しい方角を見れば、あるいは新しい望遠鏡でなら、違う星が見えるのかも知れませんが、
もうそれができるほど、心に活力がないのです。

悲しくて悲しくてとてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを誰かに告げようか…

適当と拘りの狭間で

2009.09.25 Friday 06:07

適当にやり過ぎるといろいろ投げっぱなしになるし、拘り過ぎると遅々として前に進めなくなるので、
結局何処か一定のラインを引いて、ここまで拘る、あとは適当に、といったファジーさが必要になります。
その線引きは、いつもギリギリのところでの決断を迫られることになります。
本来は100%拘りたいところを、さまざまな事情によってその一部を捨て去るのですから。

万策尽きました。
これ以上は妥協できないというところまで妥協しても、全部の条件を両立できなくなりました。

唐突で申し訳ないんですが、来年の次回作を2度目の区切りとして考えていたのですが、
今回制作中の作品を以て2度目の終わりにしたいと思います。
もちろん、それは3度目の始まりに向けてのOvertureなのかも知れませんし、
逆に今回は前回のEpilogueだったのかも知れません。
ただはっきりしているのは、意欲の減退を誤魔化すことはこれ以上できないということです。



そもそも自分はヴォーカリストなので、歌モノをやらないというのはそれだけでストレスです。
にも関わらず頑なにヴォーカルモノのアレンジをやらないのは、自分の中の世界観をぶっ壊したくなかったし、
それを他人に押し付けたりして他人のイメージをぶっ壊したり、原作のイメージに上書き保存したくなかったからです。
ヴォーカルアレンジをやる時は、歌モノができるというストレス発散と同時に、
そういう部分への拘りをふいにするストレスを負うことになります。
(それでも、自分のアレンジの中で一番好きなのは「Good Bye My Vain Faith」や「Save This Land」なんですが)

インストゥルメンタルに歌詞をつけたい、自分なりに歌ってみたいという欲求はいつもあります。
でも、歌詞や歌はメロディや楽曲をさらに強力にできるだけの力を持ちますが、
同時にそれによって固定化されたイメージを強烈に植え付けることになってしまいます。
インストでは許される想像の可能性を、奥行きは増すことができても、幅を狭めてしまうのです。
僕はヴォーカリストであると同時に、作曲家であり編曲家です(自分で言うのも変な感じですが)ので、
それら全部を並立させられるだけの何かがあるとすれば、それはアレンジの世界には存在しないのです。

同人でアレンジを始めて既に5年、CDを出すようになって3年。
その間いろいろな曲に触れ、自分なりの服をデザインして着せてみて、ある程度の評価を得られたと思います。
ファッションショーたるイベントにおいても、完全に埋もれてしまって見向きもされないということがない程度には。
ただ、同じことをずっとやり続けるというのは、飽きてしまうことでして。
もう限界まで飽きてしまったから、一度ガス抜きしないと駄目だと思いました。
他人の子供に自分でデザインした服を着せるのも面白いんですが、それより自分の子供に着せてやりたくなりました。

ただ誤解されたくないのは、飽きたというのは嫌いになったということではないこと。
松坂牛や神戸牛のステーキを300gも食べたら、胃もたれして気持ち悪くなって、もう食べたくなくなります。
でも、元気になったらきっとまた食べたくなるでしょう。
それと同じです。今胃もたれして気持ち悪くて辛いんです。
美味しいからって食べ過ぎてしまって、満足を超えてtoo muchになってしまっているんです。
たまにはステーキじゃなくて、お刺身が食べたくなるんです。
またお刺身に飽きたらステーキを食べたくなる日が来ると思うんです。
その日まで、ちょっと手をつけるのをやめようという話で。
幸いにして、新しいサークルに参加したり、ちょこちょこゲストなんかでつまみ食いできる環境にはなっているわけで、
きっと元々好きだったあの味を忘れないと思いますし。



今の作品を作り終えたら、とりあえず3~4作品ほどオリジナルをやってみたいと思います。
歌モノもあればインストもあり、アレンジではしてこなかった手法もいくつかあるやも知れません。
アレンジで勉強した手法を用いて、もっと魅力的な自分なりの曲を作れそうな気がするんです。
そのオリジナルのキャリアが、アレンジにも良い影響を与えると思うんです。

だから、トラウマになったり嫌いになってしまわないうちに、一旦身を引くことにします。
今まで応援有難う御座いました。
また戻ってきた時には、暖かく迎えてやって頂けると有難いです。

R.I.P.

2009.09.21 Monday 05:05

ショックがでかくて制作どころじゃない…。
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